円覚寺について

円覚寺の縁起と信仰

円覚寺は、大同二年(807)征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷東征のときに、観音堂を建立したのに始まると伝えられています。そして、古くから豪族の庇護を受け、例えば、平泉の鎮守府将軍・藤原基衡(ふじわらもとひら)公や津軽藩歴代藩主の手篤い加護がありました。

また、深浦湊が北前船の風待ち湊として栄えると、商人・船乗り衆の信仰を集め、海上安全・商売繁盛の祈願寺となり、現在でも多数の船絵馬が残されています。特に、深浦沖合いで時化に遭った時に、自らのチョンマゲを切り落とし一心に観音様に救いを求めたところ、境内地に立つ龍燈の大杉の梢より一条の光が放たれ、船を陸地に導いたと伝えられます。九死に一生を得た船乗りが、その切り落としていたチョンマゲをお礼として奉納しました。これらは国の重要有形民俗文化財として円覚寺寺宝館内に公開展示されています。

詳しくは、円覚寺縁起と信仰の歴史のページへ。

円覚寺寺宝館

円覚寺の寺宝は大正時代より一般公開をしていました。特に、二十六世住職義観僧正の道業である、髪の毛で刺繍した三十三観音像・八相釈尊涅槃図などを展示し、本堂内を拝観しながら解説をしていました。

現在の円覚寺寺宝館は昭和59年に、国の重要有形民俗文化財「円覚寺奉納海上信仰資料」の展示・保存のために建築されました。展示スペースも本堂内の旧展示スペースに新設の寺宝館を加えて見応えのある内容となっています。

詳しくは円覚寺寺宝館の拝観案内のページへ。

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