津軽三十三ヶ所観音霊場


津軽三十三ヶ所観音霊場について

津軽三十三ヶ所観音霊場安置五観音

津軽三十三ヶ所観音霊場安置五観音
毛髪刺繍三十三観音像(当寺寺宝館所蔵)より

千手観世音菩薩 十一面観世音菩薩
馬頭観世音菩薩 聖観世音菩薩 如意輪観世音菩薩

観音さまと三十三の数字

全国にある観音霊場は、一般には三十三観音霊場と言われます。なぜ三十三という数字が出てくるのかというと、観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品)というお経に、観音さまは相手に応じて33種類の姿に変化して現れることが書かれているからです。
しかし、三十三種類の観音さま(三十三観音)すべてを安置している霊場は全国どこにもなく、三十三カ所(秩父は三十四カ所)の観音さまをお参りするのです。そのため、正確には三十三ヶ所観音霊場と呼ぶのが正しいのです。津軽観音霊場は、三十三ヶ所の札所のそれぞれに、上記の5種類の観音さまの内の一体が祀られています。

津軽の観音信仰と巡礼

津軽三十三ヶ所観音霊場は、江戸時代に始まったと伝えられています。藩庁によって制定されたのか、民衆が自主的に選んだのかは分かりませんが、俗説では三代藩主信義公(1619~1655)が津軽一統時における戦没者と郡中開拓に死んだ武士・農民を供養するために、御詠歌を自ら詠んだと言われています。

 さて、他の地方の人たちが当寺へお参りに来ますと「津軽霊場には神社が多くあるのですね。」と不思議がられます。確かに半数以上が神社です。不思議がられるのも無理ありません。これには歴史的な背景があります。

観音様が人々を救う為にいろいろな姿に示現した話、高徳の僧になったり武将になったり父や母などに姿を変えて功徳を施した話が残されています。また観音様は「神」にも身を変じ「権現」と呼ばれて神社にも祀られました。津軽で見ますと「岩木三所権現」(阿弥陀如来-岩木山・観世音菩薩-厳鬼山・薬師如来-鳥海山)などです。

難しい言葉で言えば「本地垂迹説」、仏様も神様も同じだということです。殊に観音様は神様同然と思い神社扱いされた観音堂も少なくなかったのです。これらの観音堂は寛政年間(1789~1801)頃から「飛龍宮」と呼ばれるようになりました。しかし「観音堂」が「飛龍宮」になろうが「観音」が「権現」と呼ばれようが、信者にとっては依然「観音様」であり、変わることなく霊場巡拝が続いていました。

けれども明治維新によって、霊場は解体され大打撃を受けたのです。すなわち「神仏分離令」です。これは明治政府が「国家神道」をつくるための政策だったのですが、津軽では仏像を排除したり仏体を神体にかえて神社にしたり、または廃堂になったものは三百八十九寺堂もありました。

観音霊場も純粋な寺堂八ヶ所を除き二十五ヶ所が神社になるか廃止させられてしまいました。このように長く続いた霊場も、本尊を失ったり堂舎を取り壊されたりと壊滅状態に陥りましたが、信仰厚い民衆はその存在を忘れず、ほどなく復興されました。しかし、元の場所に戻っても、今は神社になっているためにその境内の片隅を借りて再建したり、神社を新築した時に旧殿を元の観音堂に返してもらったり、神殿内にご神体と並んで安置されたりとさまざまなのです。

この様な歴史的背景により、津軽の霊場は未だに「神仏同化」を色濃く残している特殊な霊場となっております。

当寺では「円覚寺巡礼会」がありますので、毎年巡拝奉賛いたしております。参加要綱は「円覚寺巡礼会」をクリックしてください。


著者:陸奥新報社
価格:1,260円(税込、送料込)
納期:メーカー取り寄せ

津軽三十三ヶ所観音霊場札所一覧

観音霊場札所と朱印所の地図をGoogleマップを利用して表示できます。こちらのリンクをクリックしてください。

一番 久渡寺 十一番 下相野観音堂 二十二番 正覚寺
二番 清水観音堂 十二番 蓮川観音堂 二十三番 夢宅寺
二番 陽光院 十三番 川倉芦野堂 二十四番 入内観音堂
二番 岩谷観音 十四番 弘誓寺観音堂 二十五番 松倉観音堂
三番 求聞寺 十五番 薄市観音堂 二十六番 法眼寺
四番 南貞院 十六番 今泉観音堂 二十七番 袋観音堂
五番 巌鬼山観音堂 十七番 春日内観音堂 二十八番 広船観音堂
六番 湯舟観音堂 十八番 海満寺 二十九番 沖館観音堂
七番 北浮田弘誓閣 十九番 義経寺 三十番 大光寺慈照閣
八番 日照田観音堂 二十番 高野山観音堂 三十一番 居土観音堂
九番 見入山大悲閣 二十一番 海雲堂釈迦堂 三十二番 苦木観音堂
十番 円覚寺 二十一番 鬼泊巌屋観音 三十三番 普門院
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