見入山 大悲閣

津軽三十三ヶ所観音霊場 第九番札所

追良瀬川
追良瀬川

深浦町の追良瀬川上流に位置する見入山観音堂(大悲閣)は、津軽33ヶ所観音霊場で第9番の札所となっています。

見入山大悲閣参道入口鳥居
見入山大悲閣参道入口鳥居

参道入口に鳥居が立てられていますが神社では無く、第10番円覚寺の飛び地境内です。

懸崖造りのお堂が岩山の窪みの中に建てられて、そこへお参りするまでの山道は津軽33観音で最も険しいとも言われます。

見入山大悲閣 堂内

御朱印は第10番深浦の円覚寺で、9番・10番両方の御朱印を押しています。

見入山大悲閣の歴史

見入山

古棟札によると、建立は康永3年(1344)8月22日。

大和国宇多郡神願寺の住僧行円が開き、藤原氏家の寄進により建立されたと記録されています。
後に木食万良が山麓に草庵を結び法務していました。

本尊は智証大師作による如意輪観音の石像です。

庵が無住となった期間には、本寺円覚寺において寺務を執り山伏修行道場としていました。

明和8年(1771)には円覚寺別家善寿院・永慶法印が再興しましたが、明治7年(1874)政府の布達により再び円覚寺の管理下に置かれました。

大正11年9月に堂宇が焼失しましたが、ただご本尊如意輪観音菩薩像のみは猛火の中にあって、つつがなきをえたのは、観音菩薩の法力の賜といわざるを得ません。

現在のお堂は大正13年に再建されたものです。

室町初期の康永3年(1344)造営の棟札があり、創建の古い観音堂である。
洞窟の中に建てられて舞台造りの堂宇で、昔から”窟観音(いわやかんのん)”と称され、本尊は如意輪観音である。
本堂の前には、薬師・毘沙門・愛染・弁天・稲荷・山神・胎内くぐりには不動明王、麓には地蔵・吉祥等の九つの堂社がある。
津軽三十三ヶ所観音霊場第九番札所で、地域の人々からあつい信仰をうけている。

深浦町教育委員会