本堂
この建物は大正5年から大正9年まで、5年間の歳月をかけて、当地深浦の船大工達によって建てられました。
しかし、材料の木材の一部に江戸時代の建物の材料が再利用されています。
江戸時代には津軽藩の2代藩主信牧公が寛永2年(1625)と4代藩主信政公が元禄13年(1700)に本堂を創建していました。
この建物の中には、そのお堂の材料が再利用されています。
例えば、象木鼻や中央の蟇股や角柱は寛永2年の材料を、海老虹梁や丸柱や中央の扉は元禄13年の材料が再利用されています。
このように、約300年前に作られた柱と、さらに古い約400年前に作られた柱を今でも使用しています。
歴史的な材料が再利用されたことによって、この建物はさらなる歴史的な価値があるものになっています。
薬師堂
薬師堂は弘化4年(1847)に「薬師堂内厨子」の鞘堂として建立されました。
薬師堂の中に納められている「薬師堂内厨子」は国指定重要文化財であり、青森県で最も古い建造物です。
室町時代初期に作られたとされる非常に貴重な歴史的遺産のひとつです。
この薬師堂内厨子は、彫刻や装飾など、見る者を魅了する美しさを持ち、また、当時の飛騨の職人たちの高い技術力が反映された、貴重な工芸品と言えます。
木材は木曽の桧が使われ、唐様建築の建築技術を反映した貴重な資料となっており、日本の歴史や文化に触れることができます。
金毘羅堂
金毘羅堂は、天保7年(1836)に四国の金毘羅さんから分祀された金毘羅大権現を祀るために、北陸地方の北前船商人の寄進によって建てられました。
当時、東北地方を中心に大飢饉が襲った時期でしたが、この寄進によって人々は希望を見出し、救われたことでしょう。
仏像としての金毘羅大権現も祀られており、その珍しさは書籍にも掲載されました。
また、金毘羅堂には弁財天・大愛海龍王・不動明王・一代様の諸像8体も祀られ、多くの信仰の対象となっています。
稲荷堂
円覚寺の鎮守社として祀られています。
現在は金毘羅堂の中に納められていますが、元々あった稲荷堂に、新しく建てられた金毘羅堂の下屋に収まった形になっています。
伏見稲荷系統の稲荷大明神で、ご神体はおじいさんの姿です。
龍灯杉
樹齢約1200年と推定される杉の木。
江戸時代に北前船が嵐に遭った時、一心にお祈りをすると、杉の梢より一条の光が放たれたという伝説があります。
円覚寺の観音様が杉の木に龍神を宿し、船乗りを助けたといいます。
そのため、龍神様の灯火(ともしび)の杉という意味で、龍灯杉と呼ばれています。
明治期の営林署が全国の杉の番付表を作ったそうで、その時には樹齢推定1000年・日本で167番目になっていたそうです。
鐘石
叩くと他の石とは違った音が聞こえるために、古くから村の人に隕石だと言われていた石。
硬い石で叩くと、堅い金属やガラスを叩いたような音がします。
叩くと金の音がして縁起が良いと言って、「金が貯まるのでは?」と期待して叩く参詣者が多いです。
石に詳しい人の話では、実際は隕石ではないそうです。残念。
地蔵堂
もともと3棟ありましたが、大銀杏の枝が落ちてお堂が2棟壊れたため、現在の姿になっています。
庚申堂
道祖神と同類とされ、道の守り神ともされています。
お堂は元禄13年に建立された本堂と同じ造りで建てられています。