本堂

建立は大正9年。
深浦の船大工が建てました。

しかし、材料の木材の一部に江戸時代の建物の材料が再利用されています。

江戸時代には津軽藩の2代藩主信牧公が寛永2年(1625)と4代藩主信政公が元禄13年(1700)にお堂を創建していました。
この300年前と400年前の柱が今でも使われています。

薬師堂

弘化4年(1847)に建立されたお堂。

中に納められている「薬師堂内厨子」は国指定重要文化財で室町時代初期の作で、青森県で一番古い建造物として知られています。

金毘羅堂

天保7年(1836)に北陸地方の北前船商人の寄進により建立されました。
この頃、東北地方を中心に大飢饉に襲われた期間でしたが、その中で建てられていました。

金毘羅大権現は、江戸時代に四国の金毘羅さんから分祀されたものです。

仏像としての金毘羅大権現も祀られており、書籍に掲載されました。

この他にも、弁財天、大愛海龍王、不動明王、一代様の諸像8体も祀られています。

稲荷堂

円覚寺の鎮守社として祀られています。
現在は金毘羅堂の中に納められていますが、元々あった稲荷堂に、新しく建てられた金毘羅堂の下屋に収まった形になっています。

伏見稲荷系統の稲荷大明神で、ご神体はおじいさんの姿です。

龍灯杉

樹齢約1200年と推定される杉の木。

江戸時代に北前船が嵐に遭った時、一心にお祈りをすると、杉の梢より一条の光が放たれたという伝説があります。
円覚寺の観音様が杉の木に龍神を宿し、船乗りを助けたといいます。

そのため、龍神様の灯火(ともしび)の杉という意味で、龍灯杉と呼ばれています。

明治期の営林署が全国の杉の番付表を作ったそうで、その時には樹齢推定1000年・日本で167番目になっていたそうです。

鐘石

叩くと他の石とは違った音が聞こえるために、古くから村の人に隕石だと言われていた石。

硬い石で叩くと、堅い金属やガラスを叩いたような音がします。

叩くと金の音がして縁起が良いと言って、「金が貯まるのでは?」と期待して叩く参詣者が多いです。

石に詳しい人の話では、実際は隕石ではないそうです。残念。

地蔵堂

もともと3棟ありましたが、大銀杏の枝が落ちてお堂が2棟壊れたため、現在の姿になっています。

庚申堂

道祖神と同類とされ、道の守り神ともされています。

お堂は元禄13年に建立された本堂と同じ造りで建てられています。